以前もう一つの ブログ「理容室/Family Salon セイコウから」でも紹介しました記事です。
皆さんは、ご存じでしょうか?
昔、宇和島に宇和島太郎と呼ばれる人物がいました。
私が、小学生だった頃に当時住んでいた愛宕町でも歩いているところを見かけました。
彼は、国防色を もっと濃い色にした様なゴツイ服を着て黒い傘を脇に抱えて歩いていた記憶があります。
私は、その人物を乞食と認識していました。
親から「勉強せんかったら将来あんな乞食になってしまうぞ!」という戒めを受けた事を記憶しています。
親からそんな風に言われていたので「宇和島太郎」を 乞食と認識していたんだと思います。
本来、乞食は仏教用語で「乞食」と読むそうです。
「乞食」とは、僧侶が自己の物質的な身体を維持するために人に乞うことをいうそうです。
それが、僧侶でない者が路上などで物乞いをすることや同行為をする者も乞食と呼ぶようになったそうです。
乞食は、現在は差別用語(放送問題用語)とされているそうです。
私は、宇和島太郎が、物乞いをしている姿は見た事がありませんので乞食というよりは、浮浪者を指すルンペンと称する方が合っているのかもしれませんね。
この宇和島太郎には、宇和島市民が共通して口にするある都市伝説が存在します。
宇和島市が、この宇和島太郎を養老院に入れ その施設でお風呂に入れて綺麗にしたところ亡くなってしまったという都市伝説が存在します。
いろんな人に 宇和島太郎の事を聴くと決まってこの様な同じ答えが返ってきます。
この話は、事実だったのでしょうか! それとも都市伝説なのでしょうかね?
他にも「宇和島太郎」を 取り上げてブログを書いているサイトがありますのでご紹介しておきます。
「まーきみ。さんのブログです。」
宇和島太郎 : 気功的整体師の奮戦記 – livedoor Blog
「黒弓さんのブログです。」
宇和島太郎|しょんないブログ – アメーバブログ
2017年5月3日加筆
Facebookのお友達のTosiharu Nakata さんからの情報によると!
赤松の畑の所に小屋らしき物がありましたよ❗そこに住んでたみたいです🎵
40年ほど前に良く仕事で赤松に行ったときに地元の方があそこに住んでると聞きましたね❗
今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島の有名人その1・・ 「宇和島太郎」」のお話でした。