やっと3階です!今日で最終話となります。
3階は、階段を上がって左右に展示コーナーがありますのでまずは、右側の展示コーナーから見ました。
こちらは主に浮世絵・春画の絵が展示されています。
春画だけあって男女の絡みあいを描いた作品ばかりです。
春画と言ってもけっこう有名な昔の絵師が描いていてるんですね。
狩野元信
本阿弥光悦
狩野探幽
円山応挙
歌川国芳
喜多川歌麿
肉筆で描かれたモノや版画刷りのモノ沢山の作品が展示されています。
「なんでも鑑定団」を見られた事のある人ならこれらの絵師の名前を一度は、耳にした事があるのではないでしょうか。
もともと浮世絵は、浮世を描いた絵、風俗画として登場しています。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られそのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられます。
これら展示されている 春画の特徴は、物凄く男女の秘部をリアルに描いてあります。
あまりにもリアル過ぎてグロテスクに見えてしまいます。(^^;)
あえて隠した方が、上品にみえるかなと思ったしだいです。
次に昔、実際に使われた浮世絵の秘画版木全27枚が展示されていました。
版木の裏表両面に彫られ50面を使って一枚の絵が完成するようです。
また現代のといっても明治から昭和にかけて活躍した画家が描いた絵もあります。
なんと宇和島出身の画家もいました。
高鼻華宵(1888年4月6日 – 1966年7月31日)
宇和島市民ならこの方の名前だけは知っておかないといけませんね。
愛媛県宇和島市裡町生まれの大正から昭和初期に活躍した、日本の画家で本名は、「高畠幸吉」で京都市立美術工芸学校日本画科卒業で宇和島市長・衆議院議員を務めた高畠亀太郎は、実兄です。
他には、
守住 貫魚、
富岡永洗、
武内桂舟、
岩田専太郎
といった画家たちです。
次に三階左側の展示室へ入ると 右手には、中国の春宮画や明治・大正の女性のヘアヌード写真や性交写真や動物と人間の性交などが展示されていました。あと「こんたん道具」というモノも展示されていて 部屋の中央には、でんと広いスペースの柵が設けてあり「五百性像」という木彫りの黒っぽい人形が所狭しとばかりに無造作に置かれて有りこの資料室では一番目立つ存在でありました。
と まあ大人の階段を3階まで登て来たという感じでしょうか(笑)
まあ あまりにも資料が多すぎて全部は紹介しきれませんので一度じっくりと見学しに来てみて下さい。
このシリーズは、今日で終わりです。
「凸凹神堂・多賀神社」シリーズ1話から9話までお付き合い頂きましてありがとうございました。
ちなみに多賀神社は、伊達家が宇和島に入る前からある 由緒正しい神社である事を付け加えさせて頂き終わらせて頂きます。
今日の「宇和島の散歩道」は、「凸凹神堂・多賀神社9」のお話でした。
(橋の右端の右上に凸凹神堂の看板が見えます。写真をクリックすると拡大して見えます。)
【問い1】下記の「下」の文字の意味は何でしょうか? 「下下下下下下」 【問い2】下記の9文字の意味は何でしょうか? 夜 夢 越 喜 中 女 外 成 這 解答をクリック! |
【問い1】と【問い2】の解答を見るには、「凸凹神堂・多賀神社」シリーズの1〜9のページの下に掲載されてる地図の下にキーワードを【 】内に書いてありますのでそれを メモして9個のキーワードを1〜9のページ順に並べると解答を見られるパスワードになります。 |
【ウィキペディアより】
狩野元信 (かのう もとのぶ、 文明8年8月9日(1476年8月28日)? – 永禄2年10月6日(1559年11月5日)[1])は、室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。 |
本阿弥光悦 (ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) – 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。 |
狩野探幽 (かのう たんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日) – 延宝2年10月7日(1674年11月4日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の子。法号は探幽斎、諱は守信。早熟の天才肌の絵師、と評されることが多いが、桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、画面地の余白をに生かした淡麗瀟洒な画風を切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。 |
岩田専太郎 昭和初期 (いわた せんたろう、旧字体:專太郞、1901年6月8日 – 1974年2月19日)は、日本の画家、美術考証家。連載小説の挿絵を多く手がけ、数多くの雑誌・書籍の表紙で美人画を発表した。昭和の挿絵の第一人者として知られる |
円山応挙 版画 (まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期~後期の絵師。 近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。 |
歌川国芳 漫画 (うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日) – 文久元年3月5日(1861年4月14日))とは、江戸時代末期の浮世絵師。 |
武内桂舟 (たけうち けいしゅう、文久元年10月11日(1861年11月13日) – 昭和17年(1942年[1])1月3日)は明治・大正期の浮世絵師、挿絵画家。 |
喜多川歌麿 (きたがわ うたまろ、宝暦3年(1753年)頃? – 文化3年9月20日(1806年10月31日))とは、江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。 |
高鼻華宵 (たかばたけ かしょう、1888年4月6日 – 1966年7月31日)は愛媛県宇和島市裡町生まれの大正から昭和初期に活躍した、日本の画家である。本名は、高畠幸吉。京都市立美術工芸学校日本画科卒業。宇和島市長・衆議院議員を務めた高畠亀太郎は、実兄。 |
富岡永洗 明治 (とみおか えいせん、元治元年3月23日〈1864年4月28日〉 – 明治38年〈1905年〉8月3日)とは、明治時代の浮世絵師、日本画家。明治年間には水野年方、武内桂舟とともに名声があり、特に艶やかな美人画で評判をとったが、没後は知名度が下がっている。 |
守住 貫魚 (もりずみ つらな、文化6年7月11日(1809年8月21日) – 明治25年(1892年)2月26日)は、幕末から明治初期の日本画家。 |
[宇和島市凸凹神堂・多賀神社地図 Simple Map]
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