今日は、沖良英さん秘蔵の写真を紹介します。
この写真を読み解く上で役に立ちましたのが、facebookのお友達の中藤和典 さんから去年頂きました「写真集「明治・大正・昭和」宇和島」です。
この写真に写っている車は、写真集から宇和島自動車の乗り合い自動車である事がわかりました。
今でいうバスですね。
この乗合自動車は、宇和島を起点として北は、松山市そして南は、南宇和郡一本松村まで行っていたという事です。
画像:「写真集「明治・大正・昭和」宇和島」より
▲乗合自動車
そして 昭和6年頃には、グリーンの帯の巡回自動車が、宇和島の町をガタガタと走っていたという事です。
乗合自動車のバックに写っている屋根が、ドーム型に見える特徴のある建物は、融通座です。
融通座である事が、わかれば場所は、本町追手ですね。
以前シネマサンシャインが、あった場所です。
融通座は、明治18年乙区(旧商家)の積立金で追手通りに芝居小屋を建て常舞台と称したそうです。
まもなく町有となり融通座と名付けられ大正4年に株式組織に改め改築し歌舞伎小屋として整備されていたそうです。
中村鷹治郎、市川猿之助、尾上菊五郎、松井須磨子、藤原義江らもこの舞台を踏んだということです。
また連鎖劇などの興行も行われていたそうです。
「連鎖劇」とは、主にアクション場面をロケーション撮影し、これを上演しながら陰で台詞を言い その続きを映画と同じ俳優が舞台で演じるという形式をいうそうです。
融通座から昭和31年(1956年)に洋画専門の映画館「スバル座」になり昭和40年(1965年)に閉館しました。
その後、「ボーリングセンター」になり 「ロマン座」「スバル座」のポルノ専門の映画館となり、平成3年(1991年)にシネマサンシャインとなりました。
平成17年(2005年)には、シネマサンシャインも閉館してしまい宇和島から映画館が消えてしまいました。
今日の「宇和島の散歩道」は、宇和島の方言「融通座と乗り合い自動車」のお話でした。