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御霊屋(おたまや)様

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【1】おたまや様拝殿

宇和島の宇和津町一丁目にある金剛山に山家清兵衛公頼やんべ せいべえ きんよりのお墓があります。

この辺りでは、御霊屋(おたまや)様として親しまれその名前で通っていますが、地図には和霊廟(われいびょう)となっています。

この霊廟れいびょうというのは、先祖や偉人などの霊を祭った宮の事を言い「おたまや」「みたまや」ともいうようです。

【2】おたまや様拝殿アップ

この地に霊廟が、建てられた経緯ですが、

宇和島藩祖伊達秀宗が、宇和郡十万石に封ぜられ宇和島に入ったのが元和元年(1615年)の事でした。
秀宗の父伊達正宗は、家臣の中より力量手腕の最も秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託しました。

しかしあらゆる面で対立したのが、侍大将桜田玄蕃さくらだ げんばの一派でした。

元和六年幕府の命による大阪城石垣工事問題を契機として 公頼排斥の空気が最高潮に達し遂に秀宗も桜田派の中傷を信ずるに至り元和六年六月二十九日の夜秀宗の意を体した玄蕃一派は公頼の邸を襲い公頼をはじめ十九歳になる次男治部、十四歳になる三男丹治、九歳になる四男美濃は共にその刃にたおれたと伝わっています。

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この時、公頼は蚊帳の四隅を切断され抗ううちに殺され9歳の四男に至っては井戸に投げ込まれて殺されたとされています。

山家邸は、今の丸の内和霊神社の地にありました。
丸の内和霊神社
丸の内和霊神社

公頼に 日頃から好意を寄せていた人達によって遺骸は密かに金剛山西の谷に葬られ後に 藩主秀宗も冤罪で有ったことを認めたそうです。

金剛山入口
金剛山大隆寺

【3】おたまや様説明文

今日の「宇和島の散歩道」は、「御霊屋(おたまや)様」のお話でした。

※「宇和島の自然と文化」の本には、元和六年六月二十九日の夜に無念の最後をとげた事になっていますが、【3】写真の説明では、三十日の夜と書かれています。

[宇和島市和霊廟われいびょう御霊屋おたまや様)地図 Simple Map]

愛媛県宇和島市和霊廟

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